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#スポーツ振興 #ダイバーシティ #人材

アドヴィックスにはレジェンドがいる―

全日本ジムカーナ選手権の歴史に、その名を刻み続けるドライバーがいます。1989年から37年連続出場。通算80勝超え、11回のシリーズチャンピオンに輝く経歴を持つのは、スポーツ制動技術開発部の津川 信次さんです。彼の強さの秘密とは何でしょうか。そこには、長い年月にわたり勝負の世界に身を置いてきた者だけが知る、苦悩と挑戦がありました。ここではそんな津川さんの力の秘密にフィーチャーします。

峠の走り屋がJAF競技へ鮮烈デビュー

1985年にアイシン精機株式会社(現・株式会社アイシン)へ入社した津川さん。当時の日本は熱狂的なクルマブームが到来した頃で、周りの同僚もクルマ好きが多く、津川さんの趣味もクルマいじりやドライブ。運転免許を取得したのもこの頃で、初めて購入したクルマはトヨタ・カローラレビン。(販売店にはトヨタ・セリカもあり、欲しい!と思いましたが、予算の関係からレビンに・・・。)

先輩に連れられて峠道へ走りに行ったことをきっかけに、クルマを操る楽しさにどっぷりとハマることに。クルマの限界性能を体で感じ、その挙動を自分の意思でコントロールできた瞬間のよろこびは格別! そこそこ峠を速く走れるようになり、どうせなら名前が残るようなことをしたいと思って選んだモータースポーツがジムカーナ※でした。

※舗装された広場やミニサーキットにパイロンを設置しコースをつくり、1台ずつ走行してタイムを競うモータースポーツ

(左)入社当時の津川さん。見る人が見ればとても懐かしい計測器!? (右)初めて購入した愛車、カローラレビンと一緒に

手に入れた栄光と苦悩。キャリアを長く積むということ

1987年からジムカーナ競技(中部地方選手権)への参戦を開始。1989年から全日本選手権に参戦できるキャリアを身につけ、初舞台ではシリーズ2位という好成績を残し、1991年にはシリーズチャンピオンを獲得。「若き才能あり」と全国にその名を知らしめました。2000年代にかけて勝利を積み重ね、何度もチャンピオンの座を獲得。その実績や技術力が認められ、タイヤメーカーなど協賛先の開発ドライバーを任されるまでに。これはメーカーの顔として見られる責任と信頼が伴うのと同時に、勝つポテンシャルと製品への開発力を期待されている証でもあります。

しかし、この栄光は決して順風満帆なキャリアの始まりではありませんでした。むしろここからが、終わりの見えない挑戦と苦悩の道のりの幕開けだったのです。

ある年からは2位や3位と、あと一歩届かない悔しさが続く時期が訪れます。勝てば勝つほど求められるものは増え、キャリアを重ねるほどに「勝って当然」 「メーカーの開発ドライバーである」という重圧がのしかかり、ほんの小さなミスでさえ自身を責める理由になっていきました。さらに、勝ちきれない日々の苦しさに加え、マシン特性の変化や新たなライバルの出現にも翻弄され、「ベテランだからこそ落ちてはいけない」というプレッシャーとなり彼を苦しめました。

その頃会社ではABSの実車制御波形を解析する仕事をしていて、アドヴィックスが創立されたころに基幹職に昇格し、そのまま転籍しました。

1991年、初のシリーズチャンピオンに輝いた時。(左)優勝車両 CR-X EF8 (右)表彰台のトップへ!
圧倒的なメダルやトロフィーの多さ

ぶつかった壁で鍛えた不屈の精神

プレッシャーばかりが積み重なっていく中でも、津川さんが決して手放さなかったものがあります。それは「探求する姿勢」です。

「走り方の引き出しを増やすことが、壁にぶつかったときに早く抜け出す秘訣だと実感しています。」

コースや路面にぴったり合うセッティングの追求には終わりがなく、たとえ優勝しても、それが正解とは限らないと考えるようにします。テスト走行でトップタイムを出しても、その結果に安堵することはせず、あえてセッティングを変えて、これまで試したことのない方向性を探り続けます。実際に走らせてみれば、予想どおり良くない結果になることも珍しくありません。しかし、そういったトライアンドエラーの繰り返しが貴重な財産となり、次の一歩につながる大切なノウハウの蓄積になっていきました。たとえ失敗であっても、新しい経験を一つずつ積み重ねることで、自分の中に無数の選択肢が育っていきます。だからこそ、どんな状況でも打開策を生み出せるのです。

またジムカーナの競技時間は、一人あたり約1分30秒前後。この短い時間の中で、練習してきた全てを発揮しなくてはならないため、技量だけではなくて精神力も強くないと勝てません。若手の頃は「自分の走りは誰も観ていないから、緊張する必要はない」と自分に言い聞かせていました。トップドライバーになってからは、ギャラリーやライブ配信など大勢の人に観られることは周知の事実。「どんなに観られていようが、自分は絶対に平常心で走り切れる!」と奮い立たせながら、メンタル面も鍛えています。(これはもう場数を踏むしかない!?)

勝てない苦しさの中でこそ磨かれたのは、決して折れず、挑み続ける不屈の精神です。この強さこそが、長いキャリアの中で津川さんを前へと押し上げる原動力となりました。その後はスランプをうまく抜け出して5年連続シリーズチャンピオンという圧巻の成績を守り抜き、まさに見事な返り咲きを遂げました。

競技で得た知見を仕事に還元し、仕事で得た経験を競技にも活かす。レジェンドの意地、ここにあり

そんな津川さんはこれまで、信頼性技術部、モータースポーツ室、スポーツ制動技術開発部など、複数の部署で経験を積んできました。信頼性技術部では量産開発のブレーキ監査ドライバーとしてブレーキフィーリングの方向性を助言し、モータースポーツ室やスポーツ制動技術開発部ではアフター向けパッド開発の評価ドライバーを担当。競技で培われた鋭い感覚を、常に製品開発へとフィードバックしてきました。

ブレーキは「よく効けば良い」という単純なものではなく、加速・減速・横Gが複雑に重なる領域で、踏力やストロークに対してドライバーが描くイメージ通りに制動力が立ち上がり、踏力をわずかに緩めた際にはスッと効きが抜ける――そんな繊細で正確なコントロール性が求められます。

現在、スポーツ制動技術開発部が目指しているのは、街乗りもサーキット走行も楽しめる次期スポーツカーへの標準ブレーキ採用です。その開発活動の中で津川さんは、製品と車両のバランスを見極める性能評価を担当しています。性能評価には一般走行からスポーツ走行まで幅広い知見が求められますが、特にスポーツ走行を好むユーザーの感覚に寄り添えるのは、長年の競技生活で磨かれた感性と実績があってこそ。競技で得た知見を開発へ還元することができ、またその逆に、仕事で得た経験が競技に活かされる場面も数多くあります。パッドとABSの相性によっては期待した減速度が得られないことがあり、その状況をデータで読み取って最適なバランスに合わせ込むことや、制動力の前後バランスによっては得意・不得意なコースが異なるため、コースごとにセッティングを調整するなど、アプローチに抜かりはありません。

競技で得た知見を仕事へ、仕事で得た経験を競技へ。その循環の積み重ねこそが、高品質な製品づくりを支える原動力となっています。全日本ジムカーナ選手権での活躍は、津川さん自身の挑戦であると同時に、私たちのものづくりに確かな価値をもたらしているのです。